お笑い好き集まれ!吉本、若手芸人まで極秘情報配信!笑う事はストレス解消!
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山崎 邦正(やまさき ほうせい、本名同じ、1968年2月15日 - )

兵庫県西宮市出身のお笑いタレント。吉本興業所属。NSC6期生。既婚で娘が二人いる。兵庫県立西宮南高等学校卒業、立正大学心理学部在学中。

愛称は、「山ちゃん」「ほうせい」(※以上は主に先輩芸人が使用)、「ザキさん」(※提案者とされる加藤浩次を始めとした後輩が主に使用)、「邦正さん」とも呼ばれる。

<プロフィール>

名前の読みは「やまさき」だが、「やまざき」と呼ばれることが多い。デビュー以来、本人は若干そのことを気にしているらしく、以前は「やまざき」とよばれる度に「やまさきです」と訂正していた。「学級王ヤマザキ」の主題歌に起用された(後述)のをキッカケに、表面上はあまり気にしなくなった様子。 実のところ「やまさき」ときちんと彼の名を呼ぶ人間は浜田雅功ぐらいである。しかし浜田も意識して「やまさき」と呼んでいるようで、興奮したり焦ったりすると「やまざき」と呼んでしまっている。

ココリコなどの後輩はザキさんと呼んでいる。 また本名の読みは芸名と同じ「ほうせい」で、「くにまさ」など訓読みではない。

芸風・性格として、虚勢を張った大きな叫び声など、テンションを急速に上げることができ、その点では他に追随を許さない。(ただし長く持たない)その割に些細なことでビビることから先輩芸人らから「ヘタレ」とよく呼ばれ、劣等感からそれを返上しようとピアノなどを始めたといわれる。最近はヘタレのみならず、ウケるためには「ヨゴレ」も辞さない芸風になっている。

それにもかかわらず、多くのタレント・芸人・著名人(タモリ、久本雅美、森三中など)から煙たがられ(その割に共演する機会は多く、山崎自身も森三中の事は嫌っている)、特に森三中の大島からは「出がらし芸人」「ドブ川芸人」と罵倒されたことがある。同じく、後輩女性芸人のモリマンとの対決番組では、毎回これ以上ないほどに辱められ、罵倒されまくっている。

一方で趣味は作曲、パソコンと多岐にわたり、番組でも音楽プロデュースをしたりしている。 物真似にも果敢に挑戦しており、浜田省吾などのモノマネは評判が高い。新しい芸を産み出そうとする一方、後輩の成長をやっかむ事もあり、ネタを盗んだりしたことが一部指摘された(しかし、やはりそれすらがネタという見方もある)。

また、当初はその可愛らしいルックスからアイドル的な人気を誇っていたが、年齢を重ねるごとに衰えを見せ、本来のヘタレキャラがクローズアップされていく事となる。元来フリートークも得意とは言えず、漫才出身でありながら近年ではどちらかというとリアクション芸人に近い、もしくはリアクション芸人そのものと思しき芸風を持つようになったとの見方も多い。

先輩はおろか後輩の芸人からも貶められ、蔑まれ、追い詰められた状態で真価を発揮するという特殊な芸風である為、世間のお笑い芸人に理解の無い層からは本当に才能の無い芸人と誤解され、気の毒な扱いや役割を受ける事も多い人物である。

番組中の山崎に対するネガティブな要素は、その多くがネタとしての側面もあるため、視聴者は必ずしも額面通りに受け取ってはならない。先輩のリットン調査団、東野幸治らと共通し、ポジションをヒール (悪役)側に置く事で笑いを生む芸風であるといえるが、なかでも山崎はベビーフェイスからヒールに転落した珍しい例である。

しかし、戸田恵梨香がIQサプリで山崎のファンを公言したため(真偽は不明)、ファンも少なからずいると思われる。

プライベートでも親交が深く、彼の兄貴分的存在である松本人志は、初期のアイドル的ポジションから現在の山崎へと至る様子を「芸を極めるほど黒帯から白帯になっていく芸風」と賛辞している。

1988年、軌保博光と「GSX(ジスペケ)」を結成し、デビューする。その後「TEAM-0」に改名。

1991年、ダウンタウンのスペシャル番組(『ごっつええ感じ』とは別番組)のドッキリ企画でうっかり「解散します」と口走り、その翌年の1992年に本当に解散。軌保は映画監督・詩人に転身し、山崎は現在ピン芸人として活躍する。

1998年、テレビ東京系『おはスタ』内で放送されていたアニメーション『学級王ヤマザキ』の主題歌『ヤマザキ一番!』を歌い、CD化され5万枚の売上を記録。『おはスタ』では実写版『学級王ヤマザキ』として主人公のコスチュームで登場。どうやら気に入ったらしく、以後なにかというとこのコスプレを多用するようになる。

後、結婚会見においても同様の格好で現れたが、これに対して報道陣はノーリアクション。また、式では新郎と新婦の衣装を逆にして現れたが、これに関してもノーリアクションだった(このことに関して雨上がり決死隊の宮迫は後日、「取材陣の悪意を感じた」と語っている)。余談ではあるが、お神酒を頂く際には感極まって号泣してしまっている。この模様は『ガキの使い』内でも放送された。これを見た他の出演者は泣く意味が分からず驚愕し爆笑した。 なお、『ヤマザキ一番!』は山崎のテーマソングとしてTV番組等で使用される事もあり、今でも「少しだけ歌唱印税が振り込まれてくる」と語っている。

1998年 - 2000年、リサ・ステッグマイヤーとともに『天才てれびくん』(1999年より『天才てれびくんワイド』)の司会を務める。これにより子供層に人気が出る。また、この番組にはウエンツ瑛士も子供タレントの一人としてレギュラー出演しており、この時山崎から受けた影響は大きかったらしく、現在でもウエンツは山崎を「師匠」と呼び慕っている。また「山崎夫妻にはお世話になりました」という発言や、ほぼ毎年一緒に隅田川の花火大会に行っていることなどから、師弟関係の深さが窺い知れる。

なお、ウエンツが山崎を慕う件について松本人志は「あいつを慕うヤツを初めて見た」と語っている。同番組で大人の歴代司会は子供をサポート、指揮していく立場にあるのだが、山崎だけは例外で子供からも呆れられるという、オチ的役割が多く、その分子供がしっかりしていく反面教師的な面も見られた(ただし、この頃の視聴率は良かった)。 なかやまきんに君の“筋肉留学”渡米に関しては、事前に相談を持ちかけられていたという。また、松本をはじめとして今田耕司、高須光聖といった先輩からも愛される人物である。ポルノグラフィティの岡野昭仁も山崎のことを「天才芸人」と称している。

2002年、作曲を趣味としている事から、音楽プロデューサー(?)としてSKY PerfecTV!・ヨシモトファンダンゴTVで放送された番組『邦正音楽工房』から女性アイドルデュオ「AiAi」をデビューさせた。また2004年には『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』にて強引にダウンタウンやココリコに楽曲提供した。ちなみに浜田省吾の大ファンであり、毎年ダウンタウンのふたりの誕生日を祝う場面では歌真似を披露する。

レギュラー出演中の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』では、「山崎vsモリマン」「さよなら山崎邦正」「山崎に笑いの神は降りるのか?」「山ちゃんプレゼンツ ミステリーワールド」などの人気企画を持つ(いずれも不定期放送)。あまりの見苦しさにやめてほしいという声も極めて多いが、本人は「さよなら山崎邦正」が特に気に入っているらしく(自分の振り付けの踊りを披露し、『ガキの使い』で目立てる数少ない企画なので)同企画最後に「また、来年もやるからなー!!」と言っている。毎回“これが最終決戦”という触れ込みである「山崎vsモリマン」に「絶対に続編を」という視聴者からの要望や、また「さよなら山崎邦正」が毎年3月に放送されると「何故本当にやめさせなかった」という視聴者からの非難の声が挙がる。

この番組のおかげで、今やダウンタウンと最も共演歴の長いタレントになってしまった。 同番組には第2回から出演しており、ハイテンションベストテンでは必ず一位として登場する。内容は毎回ほぼ一緒で、女装した山崎が最初はハイテンションを繰り出すが、ウケずすぐに意気消沈し、盛り下がりグダグダになって終わる。

準レギュラーどころか一度きりの出演番組やネットラジオまで「レギュラー」として公称している。

2005年7月31日深夜、TOKYO FMで芸能生活17周年を記念して、3時間の生特番に挑戦した。

『M-1グランプリ2005』にカンニングの竹山隆範と漫才コンビ「竹山崎」を結成し参戦。予選三回戦で敗退した。ちなみに、この前年の2004年度には山崎と村上ショージによるコンビでの出場を目論んでいたが、申し込み締切が過ぎていた為に実現しなかったという。2006年度は新たにたむらけんじをメンバーに加え「たむらけんじと竹山崎」として参戦。こちらは二回戦敗退となった。


<意外な才能と向学心の噂>

立正大学心理学部在学中である。大学進学を志した大きな動機として、自身が後輩芸人雨上がり決死隊や声優の堀江由衣、福井裕佳梨、グラビアアイドルの小池栄子等と共に2000年度第7期からパーソナリティーを務めたMBSラジオ『オレたちやってまーす』木曜日内のクイズコーナーを挙げており、この時「学校の勉強もクイズと一緒だ」と思った事から、実際に当番組内において『邦正の法政(大学)への道』(ほうせいのほうせいへのみち)というコーナーを立ち上げ、後輩で高学歴芸人のロザンに毎回入試問題をクイズ形式で出してもらい法政大学を目指した(「法政大学」を目指した動機は、自身の名前、「邦正」と同じ名前の響きだったから)。

最終的には実際に受験するも不合格で、その様子は録音されラジオ内でも流された。また2006年~2007年には「ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!」の「芸能人こそ東大へ行け!」プロジェクトで東京大学を目指したが、センター試験の受験科目を間違えて、無資格で終わってしまうという天才的な荒業をしでかした。

唄が上手く、前述の浜田省吾の他、尾崎豊の歌真似のレベルはかなり高い。ものまね番組に単独で出演した際には尾崎の真似で笑いの要素は一切無しで歌い上げ、喝采を浴びた事もある。尾崎の物真似は中途半端なレベルや笑いを交えたネタでは尾崎ファンからの批判が大きい為、テレビ番組で尾崎の真似を披露するタレントは実は非常に少ない。その意味で山崎の真似は評価が非常に高いと言える。しかし、ものまね番組でも歌以外のフリートークの場面ではやはり弄られてばかりいる。

ピアノが弾ける。腕前は決して良いとは言えないが、ショパンの「別れの曲」(弾きやすい調に直されていたが)など、難易度の高い曲も弾きこなしている。

口腔内の唾液腺(耳下腺)から唾液を前方または左右に勢いよく自在に飛ばせるという特技を持つ。山崎はこれを『水芸』と称し度々披露している。

ネットラジオ「おしゃべりやってまーす金曜日」の共演者村田あゆみのセカンドアルバム「Happy Candy」の中の「Birthday」と「伝説の狼」の作詞と作曲をした。
英会話教室のNOVAに一年ほど通っている。

<エピソード>

幼少時は、親から怒られると泣き喚いたあげくひきつけを起こす子供だったらしい。そのため、金持ちでもないのに欲しいものは全て買ってもらっていたという。おぼっちゃま芸人と言われる所以である。場合によっては、ひきつけを起こしたフリをして親を困らせ強請る事もあったらしい。

中学時代のあだ名は「ジャガイモ」だった。その理由はなぜか時によって変わっており、頭骸骨の形がデコボコしてたからという理由と、ポテトチップスばっかり食べていたからというものがある(いずれも本人談)。現在もポテトチップスは間食として欠かせず、特に「うすしお味」を好むという。

中学では剣道部で、本人曰く主将で大会では常に優勝候補だったらしい(ただし、勝負弱く優勝経験はない)。

大学受験に失敗し浪人することになるが、入ろうとした予備校(河合塾、駿台予備校など)に全て落ちる。その後の大学受験も失敗。

吉本の東京本社所属タレント第1号である(「TEAM-0」時代)。

上京直後は周囲に顔馴染みがほとんどおらず、孤独だったと語る松本人志の心の支えになったらしい。それ以来から現在にいたるもプライベートではよく行動を共にしている。

デビューから数年は『ガキの使い』のネット放送を読売テレビが暫く行っていなかった事もあり、いわゆるダウンタウンファミリーの芸人でありながら関西方面での一般層の認知度が比較的低かったが、昨今は関西ローカルのレギュラーも増え、地元でも確実にそのキャラクターが定着している。

デビュー当時は、かなり可愛らしいベビーフェイスをしており、デビュー後最初のバレンタインデーには、チョコレートがダンボールで十五箱分届き、吉本関係者に「こんなこと初めてだ」とまで言わせた。しかし、その一年後にはヘタレキャラ露呈のため巾着二個分に激減。山崎はかなり落ち込んだが、最終的には「あの子達はみんな事故で亡くなったんだ」と自分に言い聞かせることで心を落ち着かせた。

かつて『ガキの使い』のコーナーで、愛車だった2代目の三菱・ミラージュをジミー大西にぼこぼこに蹴られてマジギレしたことがある。その際、気が動転するあまり自ら愛車にケリを入れてしまう。

『かざあなダウンタウン』のロケで今田耕司と力也が深夜、山崎のアパートへ行きなり押し掛ける。その時部屋に女を連れ込んでいたため、今田達が部屋に入ると女が「ヒャ~!」と悲鳴を上げてカメラから逃走しカーテンに隠れるというハプニングがあった。ロケ終了後、今田は「(女は)編集で匂わす程度にしとくから」と不安がる山崎に言っていたが、オンエアでは姿は見えなかったものの存在はバレバレだった。

1997年、『ガキの使い』内で“自分が1人でトークをすれば視聴率20%を取れる”と豪語したが、収録ではトークの間が持たずスタジオから逃走した。番組冒頭(ダウンタウン出演部)で20%超だった視聴率も、山崎トーク部ではなだらかに下降(最高19.9%、平均19.2%)。罰ゲームとして「スカイダイビング丸坊主」が執行され、またトークの観客一人一人の家を訪ねて菓子折りを手渡しして謝罪させられた。

タモリのSuperボキャブラ天国内のコーナー「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」に1回目から出演。

キャッチフレーズは当初『1000のあいさつを持つ男』だったが、中期から『リトルパンチドランカー』に変更された。ちなみに、現在自ら他の番組で語ったキャッチフレーズは『お笑い界の生きる屍』。

オチだけでなく冒頭の挨拶でもボキャブラを披露するというスタイルを最初から最後まで貫いた。最初のうち「挨拶ボキャブラ」は評価の対象にならなかったが、ある時期から挨拶も評価の対象となった。しかし「挨拶の方がオチより面白い。」という回もあった(ヒロミ曰く「山崎はさ~、全然昔っから変わってないよな~。他の奴等(芸人達)が色々、変えてきてる中。」)。

第3回目(3回連続出演)のヒットパレードでは「前回のイチバン」だったフォークダンスDE成子坂や初登場の爆笑問題、×-GUN(現.丁半コロコロ)を抑えて第1位に輝くも、その後は「カス」もしくは下位になる事が多くなり(しかし、たまにヒット作を飛ばす事もあった)2度と1位に輝く事は無かった。

ヒットパレード後期からはルール変更に伴い過去の成績が乏しくなかったり出演が滞っていた芸人は「めざせ君」という扱いになったが山崎は、それまで登場していた全68組から選ばれた13組の「レギュラー」の地位に留まる事が出来た(ちなみに他のレギュラーは爆笑問題、BOOMER、ネプチューン、男同志、金谷ヒデユキ、×-GUN、海砂利水魚(現.くりぃむしちゅ~)、つぶやきシロー、Take2、アニマル梯団、ロンドンブーツ1号2号、MANZAI-C。なお、この後のシリーズ「タモリの超ボキャブラ天国」に山崎とロンブーは出演していない。そしてMANZAI-C以外の10組は暫定メジャーのベストテンに選ばれている)。

収録中のスタジオに乱入した時もある。そこで「挨拶ボキャブラ10連発」を披露して、そのまま客席に陣取る。その後「夜のボキャ天」では、ついにヒロミの横に陣取りネタの面白さに関わらず、ヒロミの大玉ボタンを勝手に押しまくってヒロミに怒られている。

名古屋の神社で番組収録をした際、雨上がり決死隊が「大吉」「中吉」のおみくじを引き、流れとして山崎には「大凶」のおみくじを引くことが期待されたが、実際に引いたのはミスで何も書かれていない白紙だったことがある。

Le Coupleが山崎の前で、「ひだまりの詩」を歌ったことがある。

『特捜!芸能ポリスくん』に出場したときのこと。

第1回戦の時緊張のあまり、たった3問という結果に終わった。ところが、この回は立河宜子が5問、デビット伊東が3問という成績不振に終わり、先輩である宍戸錠に「敗戦処理」をさせてしまった。さすがにマズかったのか、司会の島田紳助に「オマエら、この後のクイズ出来なかったら、人間として自決してもらう!!」と、3人まとめて釘を刺されているのも放映された(ちなみに3回出場して最高6問正解。最高成績は準優勝で終わっている)。

『クイズ$ミリオネア』にも出場歴がある。

2000年10月19日の延長第8ピリオドでのこと。緊張のあまり「ファイナルアンサー」と答えるところを「ファイナルファンタジー」と答えてしまっている。一緒に出場していた先輩である清水圭に「帰れ!」と言われた。早々とライフライン全部使用の後、5問目敗退0円終了に。

その1年半後の2002年3月14日第4ピリオドで、前回の汚名返上を狙い補欠ルーム1位通過の上、意気揚々とセンターシート着席したものの、早々とライフライン全部使用の後、10問目敗退10万円獲得退場。ヘタレぶりを晒し、エンディングで、後輩芸人のペナルティ・ヒデに同情されているのが放映されてしまった。

2004年12月10日に中古で購入した愛用バイクを盗難されるという事件に遭う。

最近は腹がものすごく出てきてしまい、松本人志から「キユーピーマヨネーズか」、高須光聖からは「カマキリのような腹」と言われた。一時期はそれを売りにするような素振りも見せたが、現在はダイエット敢行中とのこと。

一時期、唐突にパーマをあて、髪型をアフロ状にしイメージチェンジを図ったが事があるが、程なくして元に戻した。なお頭頂部がとみに薄くなってきている。

『なるトモ!』という番組からチーム邦正というグループを結成した。現在のメンバーはメッセンジャー黒田、陣内智則の3人である。また、8月1日にはひらかたパークのプールに行き、その模様は8月8日の『なるトモ!』月曜日で放送された。また、2005年末にはチーム邦正が四国へ行き、渓流に張られたロープを滑走するスポーツを楽しむはずが、直前に山崎と黒田がビビり、2人は先輩風を吹かせて陣内を最初に滑らせ、その間に2人が逃亡したり、岩肌に隠れたりして滑らなかった。最後にはなんとか3人とも滑走して終わったが、ヘタレぶりを晒し、陣内に突っ込まれた。現在のところ山崎はこの『なるトモ!』の月曜日レギュラーとして毎週出演しているが、同番組の出演にかなりの熱を注いでいるとの事で、自ら「なるトモ!は生活の基盤」と語る。月~金曜日の帯レギュラー出演を熱望しているという。

「笑いの心理カウンセラー」と称し、山崎が若手芸人をカウンセリングする『天才!山崎邦正の問答無用』などのいくつかのミニコーナーも担当する。また、日清食品と番組のコラボレーションとしてオリジナルの即席カップめんを作るという企画があり、山崎はその中の一種『なるトモ!焼きそば』の内容考案に携わった。商品ラベルには陣内やなるみの隅に小さく山崎の姿も描かれている。

関西ローカルの番組『お笑いワイドショー マルコポロリ!』では、芸人リポーターとしてレギュラー出演。司会の東野幸治を除き、他の出演者は吉本興業の後輩芸人達が多数を占める為、ここでの山崎はヘタレキャラというよりも、東野に次ぐ番組ナンバー2のポジション(芸人リポーターキャプテン)で積極的にツッコミやいじり役に廻るという珍しい姿を観る事が出来る。

競馬をした際、誤って前日の競馬新聞を見て予想し馬券購入。しかも的中。

包茎手術を行ったことを後輩に自慢して話す。療養の為に当時レギュラー出演していた『なりたぁ~い!』を一回休んだ。

2005年9月21日『笑っていいとも』のゲストとして出演。大学で心理学の勉強をしていることから、タモリに「何か悩みタモリさん言うてください」と言ったところ、突然観客の男が「タモさん、いいともが年内終了するって本当なんですか?」と話し掛け出した。タモリは冷静に「いや聞いてないですよ。

違うんじゃないですか?」と返答。しかし男は同じ質問を繰り返し、客席は異様なムードに包まれた。タモリは山崎に「アイツはお前が呼んだのか? CMがあけたら客がクマになってたらどうするんだよ」と振り、このタイミングでCMへ。そしてCM明け、客席に置かれたクマのぬいぐるみが映し出されると「あの人、クマに変わってもうた!」(山崎)、「お前が仕込んだんだろ!?」(タモリ)とつっこまれた(番組側の説明によると、実際の所はこのままでは番組の進行にも支障をきたすと思われた為、男に理解してもらったうえ退席という処置をとったとの事)。

飼っていたウサギを風呂に入れ、死なせてしまったらしい。

テレビ朝日系の『アメトーク』でトークとは関係のないことをしているため、出演についての賛否両論がおきている。

作家の中村うさぎとの共著で『うさぎ・邦正の人生バラ色相談所―苦悩の泥沼にハマッてしまった人へ』という人生悩み相談本を出版している。

2006年1月3日放送の『人気芸人100人大集合お笑い国盗りクイズ!! 芸能界誰についてく? 仁義なき派閥抗争SP』では、ほとんどをTVの映らない追放ルームで過ごし、今田耕司にかなりいじられていた。また同年4月28日放送の『お笑い国盗りクイズ2006』でも、初っ端から追放ルームに左遷されている。

そのオナニーのスタイルは、世の一般的な男性のそれとは異なり、亀頭の部分を上からダイアル式に廻し撫でるといった個性的な物であると公言している。奇しくも吉本興業の後輩岡村隆史も同じスタイルであり、岡村はその点において山崎にシンパシーを感じているという。

山崎が『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』に出演した際、美味しい所の殆どを当時新人だった後輩の岡村隆史に持っていかれてしまい、「番組が悪い。自分の魅力を引き出してくれない。たけしさんが悪い。」と言い、大胆にも以降の出演を断っている。また『恋のから騒ぎ』に出演した際も全く光らず、「さんまさんが悪い」と責任転嫁した。

2006年には生殖器の海綿体が硬質化する「ぺロニー病」なる奇病にかかる。数万人に1人の確率で発症し、確かな原因や治療方法もわかっていない難病であるため、本人は相当思いつめていたらしい。医者からは性行為を自粛するように命じられていたが、しかし山崎がオナニーを控える事は無かった(できなかった)という。一方で深刻に悩んでいたのも事実で、ダウンタウンの松本曰く生殖器を除去しようと本気で考え、除去後は『美輪明宏さんのようにカチューシャを付けてシャンソンを歌いたい』と語っていたらしい。現在は完治の方向へとむかい、嫁との三人目の子作りに意欲を燃やしている。

嫁は芸人顔負けの天然ボケである。

『ガキの使い』の恒例罰ゲーム「絶対に笑ってはいけない~」シリーズには全て罰ゲームを受ける側として登場。これはレギュラー陣の中で唯一のことである。2006年現在4年連続の出場になり、2006年末の「笑ってはいけない警察24時」ではこのことを同敗者側の浜田に指摘されると遠藤に「皆勤賞ですよ。」と言われた。

やきそばの店を出す事を目標としている。

「なるトモ」でwikipediaにのっているギャグ「やーーーン!」と過去に同番組ですべった『ぼくは、ハネムーンベイビーやね~ん!!』を紹介される。陣内にふられたので披露するが激しくすべる。





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たむらけんじ(本名:田村 憲司、1973年5月4日 - )

大阪府阪南市出身のお笑い芸人。吉本興業大阪本社所属。吉本総合芸能学院(NSC)大阪校11期生。大阪府立和泉高等学校卒業。愛称「たむけん」。


<人物>

同期にはココリコ、藤井隆、陣内智則ケンドーコバヤシ、中川家、ハリガネロックらが挙げられる。既婚で、1998年生まれの長男と2002年生まれの長女がいる。

高校時代の同級生とLaLaLa(ラララ)というコンビを組んでいたが、1999年8月に解散。以降はピン芸人として活動している。劇場アンケートネタなどが代表作であった。

以前は心斎橋筋2丁目劇場やbaseよしもとの中心人物で、同期や後輩を集めたライブをプロデュースするような立場であったが、2001年頃よりヘタレキャラに転身。

2001年9月にbaseよしもとを卒業、東京に進出。主にルミネtheよしもとの舞台でピン芸をやったり、新喜劇に参加していた。また、『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系列)の人気企画「1ヶ月1万円節約生活」や、同番組の「夫婦で節約生活」に妻とともに挑戦した。2003年大阪に本拠を戻し、以降はうめだ花月を拠点に活動中。

2002~2004年放送の「オールザッツ漫才」での、ふんどしや獅子舞姿で他の芸人を罵倒するネタで注目を浴びる。特に同期ながら売れっ子である陣内智則をいじり、「陣内死ね!」を連発(見ていた陣内は大爆笑)。2005年放送の「オールザッツ漫才」ではキョンシーの格好をしてネタを披露した(内容は過去の年とほぼ同じ)。

また「めちゃ²イケてるッ!」の笑わず嫌い王決定戦に出演。「東京で売れてる芸人、全員死ね!」というオールザッツとほとんど変わらないネタを披露した(ただし、この回の大阪吉本芸人に対する演出はほぼ前年のオールザッツのコピーであった)。同番組内では紹介時、堂本剛に『かわいそうさん』と言われた。「笑わず嫌い王決定戦」に出場した若手芸人はほとんどがブレイクするが、たむらは出演後半年以上経っても全くブレイクの兆しがなかった。

めちゃイケファンド(めちゃイケ参照)の投資対象芸人。最近めちゃイケで雛形あきこにめちゃイケファンドの真似をされている(しかも本人よりもウケている)。

ロンドンブーツ一号・二号のダブル田村が出てきた時ビビったらしい。

その後、「笑いの金メダル」のワンミニッツショーなど東京での露出も増える。


最近ではへたれキャラに加え、嫌われキャラも。

「吉本興業の社長に取り入っている」「先輩に頼んで仕事をもらっている」らしいため東野幸治に「お前嫌い」と言われる。
陣内智則との話をよくネタにしているが、陣内に「昨日のことみたいに話してますけど、それ14年前の話やん。全然遊んでないし」とバラされる。

「陣内死ね!」というたむらお得意のネタについて、ケンドーコバヤシに「お前も俺のこと見捨てた。東京行く前は一緒に陣内いじっとったのに、帰ってきたらやっとらんし」と言うと、「あれも俺がやっててウケてるの見て、あんたが乗ってきたんですやん。だから俺やらなくなったんですよ」とバラされてしまう。
『田舎に泊まろう!』(テレビ東京系列)出演時には、あまりの知名度の低さに地元の人の家になかなか泊めて貰えなかったという逸話もある。

最近の収入は「コンスタントに月収25万円」(本人談)らしい。しかし2005年12月の「先月の月収は52万!」という発言や、2006年1月の後輩の「それ以外に直の営業も入れたら年収1000万超えたって言ってはったでしょう」という発言もある。

プライベートでは「たむけんファミリー」、通称TKFの主宰者となり、TKFのTシャツを貰った人は強制的にファミリー入りになり、ファミリーとなった芸人らはTKFのイベントに強制参加となっている。

間寛平・$10・サバンナと共にユニットコントライブ『宇宙ターザン』を不定期に開催している。DVDも発売された。

たむらけんじ公式サイトでは、BBSに書かれたメッセージに対してまめに返信するなど、ファンを大事にする一面も持つようである。最近では多忙なのか、BBSへの返信はまめではなくなった模様。

『せやねん!』(毎日放送テレビ)では、なかやまきんに君と共に番組限定のコンビ『おもしろーず』として活動している(番組の企画『ピーンと来たら激写メール』コーナーのリポーターとして)。きんに君がボケ、たむらがツッコミを担当している。

ネタ
「いきますかー!? イーチ、ニー、サーよいしょ、チャ~」
「ごめんチャ~」
「アドベンチャ~」
「ピッチャ~」
「うわっ 俺って器小っチャ~」
「ビッグモッコリ」(稀)
「誰が王JAPANや!!」(笑いの金メダルでスピードワゴンとコラボを組んだ際、井戸田潤の「世界一絡みづらいですね」という言葉に対し)
「イナバウチャ~」
「母チャ~」
なお、「チャ~」という一発芸はたむらけんじの息子が考案したものである。

登場時に出てくる獅子舞は自前。サングラス・ふんどし姿で登場し、上半身に「話芸の神」「楽屋でおもろい!」「愉快な人」「ネッシーはいてる」「ブリには大根」「マムシに注意」「海からの恵み」などと書いている。芸を見せるときの風貌については「髪型で笑いを取るな」と若手芸人たちに言われたことがある。



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田中 直樹(たなか なおき、1971年4月26日 - )

大阪府豊中市出身のお笑いタレント・俳優。ココリコの大きい方でボケとネタ作りを担当。相方は遠藤章造。コンビのリーダー(リーダーは遠藤の方だと思われがちだが実際は田中の方)。血液型については、以前AB型と公表していたが、テレビ番組で本人がO型と公言した。

<人物>

ココリコとしての冠番組、『ココリコミラクルタイプ』では、「目に付く男」や「幸子」などの人気キャラを演じている。特に、妻の尻に敷かれている夫、髪の毛の薄い中年のおっさんの役が多い。 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!に初めて出演した際、田中の尻近くにあった「イボ」が何故か番組中に問題とされ、イボを取る整形手術を受けさせられた。他にも同番組内のどっきりで浜田雅功に怒られ号泣した。 2005年1月に放送された『笑いの祭典!! ザ・ドリームマッチ'05』にて、三村マサカズ(さまぁ~ず)とコンビを組み優勝している。

夫人はフジテレビのバラエティ番組『ココリコミラクルタイプ』にて共演した小日向しえ。2003年に結婚し、2004年6月27日に息子が誕生。松本人志に「田村亮(ロンドンブーツ1号2号)」、「藤井隆」と共に「吉本のデリケートなやさし~い三人」と評されるほど押しの弱い性格であり、ドラマや映画などに出演する場合も大抵はこの性格の役を演じる場合が多い。彼ら三人は私生活でも仲が良く一緒に海外旅行に行ったこともある。

また、藤井隆との関係を吉本興業の先輩木村祐一に「2人は友達ではなく、友達がいない仲間だ」と評された事があるように社交性には欠けていると見られている。このように非常に礼儀正しく、低姿勢な印象があるが、長らく出演している『ガキの使い』では、ワガママで気がきかない一面を覗かせることもある。また性格はSであるらしく、家庭では亭主関白らしい。

少年野球で初めて与えられた背番号は13。中学時代には相方の遠藤と同じ硬式野球部に所属しており、副主将を務めていた。背番号は2(遠藤は6)。弱肩を見透かされないようにするためほとんど牽制球を投げなかったが、なぜかチームは強かった。 大阪府立桜塚高等学校に入学。部活は気象衛星部に所属し、スポーツ、異性とも無縁の青春時代を送った。

相方の遠藤と違って結婚するまでなぜか異性に縁がなく、独身時代は同じくモテなかったロンドンブーツ1号2号の亮といつもつるんでいたと言われている。中学時代に後の相方、遠藤に恋愛相談を持ちかけ、遠藤が田中の気持ちを意中の子に伝えに行った数日後、その女の子は遠藤の彼女になっていた悲惨な思い出がある。こうした事情からかウッチャンナンチャン司会の深夜番組「カボスケ」出演時、「ウォーッ!」と叫びながら舌足らずなしゃべり方の女性芸人を豪快に投げ飛ばし、「ボク、女が大っ嫌いなんですっ!」と吐き捨てた。


「たなかなおき」と読む同姓同名の著名人として元外務大臣田中真紀子の夫、田中直紀。政治評論家の田中直毅。また全くの同姓同名で元福岡ソフトバンクホークスの田中直樹(内野手)、元バレーボール日本代表の田中直樹がいる。

好きなスポーツは、休日のバスケットボール。先輩であり友人である極楽とんぼの加藤浩次とは誕生日が一緒である。

常に弁当にミックスベジタブルが入る程ミックスベジタブルがある。本人曰くコロッケの中にも入っていたらしく、入麺を食べていた時もあったらしい。



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