お笑い好き集まれ!吉本、若手芸人まで極秘情報配信!笑う事はストレス解消!
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浜田 雅功(はまだ まさとし)本名:濱田雅功

大阪府大阪市生まれ。兵庫県尼崎市潮江育ち
1963年5月11日生まれ
血液型A型うさぎ年
1976年 潮小学校卒業
1979年 大成中学校卒業
1982年 日生学園第二高等学校卒業

ツッコミ担当。愛称は「浜ちゃん」・「ハマタ」・「はまちょん」(学生時代の友人らが使う)。特技:大物著名人をいじること。妻は元オナッターズで現在タレントの小川菜摘。たまにボケて、松本にツッコまれることもある。


松本 人志 (まつもと ひとし)

兵庫県尼崎市潮江出身
1963年9月8日生まれ
血液型B型うさぎ年

1976年 潮小学校卒業
1979年 大成中学校卒業
1982年 兵庫県立尼崎工業高等学校卒業

ボケ担当。3人兄弟の末っ子(二男)。愛称は「松ちゃん(まっちゃん)」・「まっつん」(学生時代の友人らが使う)。番組の企画や構成にも参加したりする。浜田がボケた際、ツッコむことがある。


1980年代前半の漫才ブームでB&B、ツービートや紳助・竜介等の早いテンポの「ビート漫才」が脚光を浴びた後、遅くてスローテンポな「ダラダラ漫才」を確立させた漫才コンビでもある。

ダウンタウン登場以降漫才のレベルが急激に上がり視聴者の笑いに対する意識も変った。現在は、テレビ番組を中心に幅広く活躍中。ソロでの活動も積極的に行っている。

元々は松本が通っていた小学校に浜田が転校して来たのがそもそもの出会いである。第一印象はお互いに良くはなかったと言う。
 浜田と松本が中学2年のときに放送部で一緒になりそれから仲良くなった。浜田の誘いにより高校卒業後に吉本NSC1期生としてコンビを結成。コンビ名は「松本・浜田」「まさし・ひとし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」を経て、1983年に「ダウンタウン」と命名。

2005年11月、オリコンの「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」で好きな芸人部門1位に輝くなど、テレビ、雑誌などの一般アンケートによるお笑いコンビの人気ランキングには常に上位に名を連ね、多くのファンに支持される。また、テレビ業界内での評価もとてつもなく高く、お笑いコンビでは唯一、TBS、フジテレビ、日本テレビにてゴールデンタイム、プライムタイムに看板番組を持つ。デビューから20余年たった現在も第一線に君臨する名実ともに日本を代表するお笑いコンビである。

高校卒業後、吉本総合芸能学院(NSC)に一期生として入り、師匠を持たないいわゆるノーブランド世代のはしりとなる。同期にはトミーズ、ハイヒール、内場勝則、おかけんた・ゆうた、浜根隆、前田政二などがいる。若手時代からハイヒールとは仲が良く、浜田の番組で共演したこともある。リンゴの脱走を三人で手伝ったことがある、とモモコが語っていた。

松本の手によるシュールレアリスム溢れるネタは、以降漫才のスタイルがほとんどダウンタウンのコピーになってしまったといわれるほどの強烈なインパクトを与えた。ダウンタウンは、島田紳助・松本竜介の影響を強く受けており、紳・竜の漫才テープをそっくりそのまま真似できるほど繰り返し聴いていたという。しかし島田紳助は「(ダウンタウンが)それほど自分たちの影響を受けているとは思わなかった」と語っている。

因みに島田紳助が漫才から身を引いたのは、当時まだ有名ではなかったダウンタウンの漫才を見た事がきっかけの一つと語っている(当時の新聞の見出しは「紳竜解散! サブローシローらには勝てない」だった。

ダウンタウンは当時まったくの無名だったため省略されている。なお余談だが、新人時代には多くの先輩芸人から疎まれたダウンタウンだが、サブローシローの2人には可愛がられたらしい)。紳助はかつて「ダウンタウンの遅いテンポの漫才では売れない」と読んでいたが、ある日彼らの舞台を見て、自分の間違いに気付いたのだと語っている。

一週間区切りの日程で、ダウンタウンの漫才が観客にどう映っているかを見た紳助は、その足で会社へと出向き、自らの漫才からの引退の旨を伝えたという。 浜田自身は中田ボタン、上方よしおの技術にも強く影響を受けているという。才能がものを言うボケ、呼吸とテクニックがものを言うツッコミという定説通り、浜田は多くの先輩芸人のツッコミ技術を観察・研究し独自のスタイルを完成させたらしい。

しかしダウンタウンのデビュー当時、2人が向かい合うように立って声を張らずに喋るという彼ら独自のダラダラした漫才スタイルは、ときに先輩芸人から叱責されるほど異端であった。ライト兄弟時代に出演した『ザ・テレビ演芸』にて、「家庭内暴力の報道が少なくていいな」という浜田に松本が「どこがええねん、親を甘やかしたら駄目ですよ、親なんか子供が本気出せばすぐに殺せるということを教えとかなあいつらに」と返すネタをやり、それを見た横山やすしが「親をけなしたり、それはテレビで言うような漫才ちゃうやん。八尾(大阪府八尾市)のチンピラが立ち話しでもしとんのか!」と言い放ったというエピソード(こちら)もあり、一般に定着するには数年を要した。
 このやすしとの一件について松本は「チンピラの立ち話で結構。チンピラが立ち話をしていて、何か聞いてみたら面白かった。それでいい」と、また「テンポ、間合いばかりを重要視してしまうと面白いものが生まれなくなってしまう」とやすしの漫才への姿勢を著書において批判した。とはいえ、これは体質に拘った漫才を批判しているものであり、やすし等の芸風そのものに対して否定しているわけでもない。形を作った漫才をやらない理由として、「カッチリ作った漫才よりも、ガキでやってるフリートークの調子いい時の方が面白いんじゃないかと考えると難しい」と語っている。漫才に関しては、ビデオ「ダウンタウンの流」を最後に封印している。



「漫才師」という古めかしい肩書きを嫌い、松本は「スーパーギャグメッセンジャー」などと自称していたこともある。その後は「お笑い芸人」「コメディアン」と自称することが多い。ダウンタウン登場以前、「お笑い芸人」という呼称は漫才師以上に古式ゆかしいイメージだったが、今やそんなイメージもなく、若手でも抵抗なくそう名乗ることができるのはダウンタウンのおかげでもある。松本自身は「もう漫才をやらないんですか? と聞かれることが多いけど、やるとかやらない以前に僕には漫才師の血が流れてる」と「漫才師」という職業への愛情を語っている。「欽ちゃんの仮装大賞」に出演時の肩書きは「松本人志(27) 2名 大阪府 漫才師」であった。

番組に出る際は、浜田はカジュアルな服装で、松本はスーツ姿で臨む。松本はネクタイの先をズボンの中に入れるのが常である。

ブレーン的位置にいる高須光聖や、ミュージシャンとしても活動する倉本美津留らの放送作家陣は、彼らの成功に無くてはならない存在であった。

a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=102750" target="_blank">松本人志<の著書『遺書』『松本』(共に週刊朝日で連載したものをまとめたもの)は出版界では異例の550万部の売り上げを記録。タレント本売り上げでは、黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』に次ぐ歴代2位を今(2006年現在)も守っている。他の著書に、『図鑑』『松本』『松本人志 愛』『松本坊主』『シネマ坊主』『シネマ坊主2』『松本裁判』『プレイ坊主』『松本人志の二元論 好きか、嫌いか』『定本・一人ごっつ』『哲学(島田紳助との共著)』などヒット多数。番組本以外は最低でも20万部以上売れるベストセラー作家でもある。どの著書も松本の突飛な発想が好評で、注目を集めた。

浜田雅功がメインボーカルをつとめる、H Jungle with tの1st single『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント』は200万枚を超えるセールスを記録した。その後奥田民生プロデュースでも楽曲を発表した。また、2004年11月「浜田雅功と槇原敬之」というスペシャル・ユニットで松本作詞のクリスマスソング『チキンライス』をリリースした。 また二人が絡んでの企画モノの音楽活動も数多くこなしており、ヒットを多発している(ゲイシャガールズ、エキセントリック少年ボウイオールスターズ、Re:Japanなど)。

吉本を代表する大物コンビにも関わらず、罰ゲームなどで体を張ったり(真冬の海に裸で入る、竹刀でしばかれる等)、いじられ役になる事が若手芸人に負けず劣らず多い。が、松本は「世間は、自分たちが若手をいじめて楽しんでいると思っている」と時々ぼやく。

同世代との絡みがほとんどないダウンタウンだが、『夢で逢えたら』で共演したウッチャンナンチャンとは仲が良い。南原の子どもが生まれた際にも祝福のメールを送ったり、内村の結婚に際しても祝福のメールを送ったとされる。ウッチャンナンチャンがダウンタウンより3年後輩で年齢もダウンタウンのほうが上であるにも関わらず、『松ちゃん』、『浜ちゃん』と呼ばれている。その為か、ウンナン一派の出川哲朗(出川は学年こそ同じだが、後輩であるため、『松本さん』、『浜田さん』と呼ぶことが多い)や勝俣州和との仕事も多く、最近では『リンカーン』でさまぁ~ずとも共演している(『笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ'06』で松本は三村とコントも行った)。近年では殆ど共演が観られない両組だが、2003年に開催された第3回M1グランプリでは松本と南原がお笑い第三世代代表として決勝戦の審査員を務め、しかも、隣同士の席順であったために、めったに観られないツーショットとして、当時からのファンを喜ばせた。また、最近では内村がNO PLANの一員として『HEY!HEY!HEY!』に度々出演し、共演を果たしている。

二年先輩の芸人、とんねるずとの不仲説が噂されたこともある。しかし確たる事実があるわけでもなく、真相は定かではない。なお、この2組の共演は1994年10月3日に放送された『FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル』を最後に、現在に至るまで10年以上も実現していない。このスペシャルの収録前に浜田が石橋貴明の楽屋へ挨拶へ行った際、若手芸人やファンを追い払うかのように振舞ったため浜田がそれに憤りを感じた、という説がある。しかし実際の放送で浜田はとんねるずの二人に積極的に絡んでおり、石橋も浜田の方を向いて笑ったりしていたため、真偽のほどは不明。 日本テレビでオンエアされていたとんねるずの番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』から遅れて、ダウンタウンの『生生生生ダウンタウン』がTBSで始まった頃は、マスコミがこの二組をライバルのように扱うことも多かった。しかし『生生生生』で松本が「始まりましたね、生でダラダラダウンタウン」と言えば、翌週の『生ダラ』終了間際、木梨が「来週も生生生生とんねるず見てねー」とエールを送ったり、『うたばん』で石橋がダウンタウンと仲の良い芸人に「お前はダウンタウンのところに出ろよ」とネタにするなど、当人たちはマスコミの煽りも楽しんでいた感すらある。さらに松本は「とんねるずとは班が違う」や「Re:Japanが『うたばん』に出てもいいし、野猿が『HEY!HEY!HEY!』に出てもええのに、なんで実現せえへんねやろ?」と『放送室』でも発言している。自著『松本』にもとんねるずの番組を見た、といった発言が見られる。

浜田・松本の2人はプライベートではあまり親密ではないが、不仲というわけではなく“照れ”があるためと受け止められている。その理由としては駆け出しの頃、電車賃が無いため尼崎まで2人で歩いて帰った・1本のコーヒー牛乳を2人で分け合った等の青臭い苦楽をともにしたことの反動が挙げられる(その証拠に初期の『ガキの使い』では、2人で並んで新幹線に乗った・2人でスキー旅行に行った等の話も伺える)。移動手段や楽屋は意図的に別にしており、またお互いの携帯番号すら知らない。2人が携帯電話で話したのは、『ごっつええ感じ』で浜田が怒り狂ってロッカーを蹴り右足を剥離骨折したさい、スタッフから番号を聞き出した松本が浜田に電話したただの一度きりである。お互いが2人きりになる事が出来ないらしく、打ち合わせ等では担当マネージャーがトイレに行ってしまわない様に延々と喋り続けてしまう、と松本自身が語っている。それを日本テレビの特番が逆手に取り、楽屋にダウンタウンが二人きりになってしまうというシチュエーションを作らされたこともある。松本は「覚えたくはなかったが、浜田の誕生日だけは覚えてしまっている」「俺は浜田の事しか考えていない(トークの中のギャグとしてだが)」浜田は「二人合わせてダウンタウンや!」「松本と別れることがあったら、俺はお笑いはしない。最高の笑いを見続けて来たから、他の笑いなんてできないでしょ」と親愛の情がこもった発言もしている。

一方で、彼らのトークの中にはそれ故のさみしさが垣間見えることがある。かつて『ガキの使い』内で、たまたまお互いに日程のかぶってしまったグアム旅行の最中、松本が意図的に浜田との遭遇を避けたことを話すと「なんで話しかけてくれへんねんな」と浜田が言い、「なんかそれは照れくさいじゃないですか」と松本は答えていた。

またGacktからトークに関して著書『自白』の中で「テレビ番組に出るのは苦手だがHEY!HEY!HEY!に出るときはいつも感動する。ダウンタウンの2人は天才を通り越している。鬼才だ。」などと絶賛されている。



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ペナルティ ワッキー

== プロフィール ==

* [[血液型]]はB型。身長178cm、体重68kg。出身地[北海道]

* [[1994年]]コンビ結成。当初は正統派のコントをやっていたが、最近では個性的な(悪く言えば気持ち悪い)キャラクターを演じることが多い。

* 運動神経抜群で高校時代は船橋市立船橋高等学校サッカー部に所属、3年の時には主将も務めていた。ポジションはフォワード



== 特徴 ==
* [[タイ王国|タイ]]が大好き。タイ料理店で働いていたことがあり、[[タイ語]]を話すことができる。数ヶ月の在住経験もあり。野菜の[[飾り切り]]もできる。

* 腹筋が割れており、時々自慢するが、皆は腹筋よりも体毛に注目することが多い。

* 胸毛は顔っぽく見えてしまうほどで、ロールシャッハテストのように何に見えるかでイジられることがある。

* ヒゲもかなり濃く、1日3度ヒゲを剃る。しかも1回に15分かける。以前にそれが人生でどれだけ費やすか計算したことがあるらしい。

* 江頭2:50
江頭2:50にはキャラがかぶるのでライバル視されている。

* 先輩芸人である[[ココリコ]]の[[遠藤章造]]・[[千秋 (タレント)|千秋]]夫妻の愛娘に嫌われているらしい。

* 意外にも<「吉本一のモテ男」を自負している。

* 相方のヒデの事を尊敬している。ヒデさんと呼んだり(学生の時からの癖らしい)テレビ番組で酷い目にあったら必ずヒデの所に行く、ヒデが何かをしていると常に心配している。笑いの金メダルでは江頭とコンビを組む事になったとき第一声が「ヒデさんは!?」というなどとかなり尊敬している。

* かなりのビビリである。「[[香取慎吾の特上!天声慎吾]]」でのお化け屋敷企画で、その一面を見せた。

* 長渕剛の大ファンで、好きな曲は[[SUPER STAR]]。



== 特技 ==
* 一発ギャグには「ワキササイズ」(ワッキーダンス。両脚の膝をパクパクぶつけながら両腕を前後に振る)、「乳首がずれてるポリスマン」、「プニョンペン」など。[[天知茂]]や[[野口五郎]]、エンジン式[[芝刈り]]機などの[[物真似]]もする。

* 最近は、「'''お化けの救急車'''」(目をむいて中心に寄せ、前歯を突き出し、「お化けの救急車~♪」と歌いながら手足を動かす。止めに入った人も踊りだす。[[MC]]に止められるまで繰り返す)という一発ギャグを押している。[[笑っていいとも]]の春・秋の祭典スペシャルでは恒例のイベントとなっている。最後には[[タモリ]]までがのる。([[ハゲタカウォーズ!!]]では「ハゲタカ救急車~♪」と歌っていた)。笑いの金メダルでは[[江頭2:50]]にパクられている(その際、ワッキーは「ちょっと江頭さん、それ俺のネタなんですけどー!!」とすぐさま止めようとするも結局は一緒になって踊っていた。)。ただ、ゲストが沢山居なければ効果を発揮しない為、ステージでは使えないバラエティ専用のネタ。2006年10月23日のいいとも出演時には「お化けの救急車 ショートバージョン」を披露した。

* 歌がうまく、[[ルミネtheよしもと]]などの舞台で[[大きな古時計]]をオペラ歌手のように力強く歌うようなネタが時々ある。

* 水10!ではロナウジーにゃという不気味なキャラを演じ、ここでもサッカーの腕前を惜しみなく発揮している。しかし小学生女子ダンスユニット「[[パワフルエンジェル]]」メンバーからは「気持ち悪いので1番嫌いな芸人」とすっかり嫌われてしまっている。その事実を知ったワッキーは半泣きになって拗ねていた。

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斎藤 恭央(さいとう やすお、1976年9月24日 - 、血液型B型)
神奈川県出身のお笑いタレント及び声優
日本大学芸術学部演劇学科演技コース卒。トップコート所属。
元あばれヌンチャクのツッコミ&絵描き&ネタ作成担当。

通称「やっくん」「スケバン恐子」。


昔ジャニーズJr.に所属していた事もあり顔は美形。

2002年にアニメ満月をさがしてのオーディションを受け合格をする。
これをきっかけに声優として活動。満月をさがしてでは準主役級のタクト・キラ役を演じ、その甘い声と繊細な役柄から若い女性のアニメファンを中心に支持を得る。

同番組の企画CDではタクト・キラ役で歌も披露している。

あばれヌンチャク解散後、桜塚 やっくん(さくらづかやっくん)と名を変えピンで活動中。エンタの神様を中心に活躍中である。

スカート丈の長いセーラー服、竹刀、ロングのパーマかつらを装備した女装姿「スケバン恐子」というキャラでの出演。

観客につっこませる内容が評判だったため、常連出演するようになった。



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